第4回「福島を忘れない!全国シンポジウム」・現地見学

2016年8月20日~21日
「福島を忘れない!全国シンポジウム」浪江町、馬場町長の講演
『福島第一原発事故 その時浪江町は』
事故前には、つまらないことまで町長室へ報告に来ていた東京電力が、原発事故が起きた時には、何の報告も情報も持って来なかった。浪江町では、テレビ等の報道で判断して全町避難と役場の移転を決めた。そして今、町の人口は減っているのに世帯数が急激に増えている。避難生活で、家族がバラバラになっていくという厳しい現状。町民は今でも全国44都道府県に渡って避難している。
浪江町教育委員会の横山さんから浪江町をご案内をいただきました。請戸小学校で、子どもたちが津波から全員無事に避難できたお話や原発事故により救助を打ち切って避難しなければならなかった消防団・町民の心に残る傷についてお話をうかがいました。

飯館村役場前で渡辺村議会議員から、避難解除が迫った飯館村の今の状況をうかがいました。この7月には村役場に全職員が復帰し、仕事を再開。役場の前の病院も修復が進み、役場の周辺では帰還準備が進んでいました。

飯館村役場の庭に設置されたモニタリングポストは、0.38μsV/h前後を示していましたが、渡辺議員によれば、モニタリングポストは回りを除染して、下はコンクリートで固められているので周辺より数値が低く出るとのこと。傍らの植え込みの上に置いた放射線測定器では、かるく1.3μsV/hを越えました。帰還を目前としても、5年半経っても、放射能はまだ消えていません。

シンポジウム後の懇親会には、記念イベントに出演いただいた「おしどりマコ&ケン」さんのお二人も参加してくださいました。シンポジウムでの「放射能被ばく許容量を20㎜sV/年にすることを日本人は、本当に認めたのかと、ドイツの知り合いから問い詰められた」というお話は痛切で、全国民が自分のこととして捉えなくてはいけない重大な問題なのだと深く反省しました。